およそ1200年前、平安時代のはじめの頃。人々に真言宗の教えをひろめるために諸国を精力的に旅されていたお大師さまが奥州の湯殿山にお登りになられた帰り道に、ここ柳橋の地に足を止められた。
その頃の柳橋は、うっそうと茂った原生林につつまれ、小高い台地の両側は海のように大きな沼、今は立派な水田となっている長井戸沼に囲まれていた。
お大師さまは、網代笠をかむり、わらじをはき、手には大きな念珠を持ち、錫杖を高く低く打ち下ろし、毒蛇や毒虫をさけながら獣みちのような小道を沼にそって歩いていた。
しばらくすると、木々の小枝の間に青い空があらわれ、お大師さまの目の前が急に明るくなった。そこは、断崖険渓の「一の谷」であり、沼がお大師様の行く手を遮っていた。
ぼう然となり、しばらく立ち止まっていると、どこからともなく一人の老人が現れて、 「それは、お困りであろう、わたしが橋をつくってさしあげよう」と、沼の岸辺に歩いていって、ひときわ大きな柳の木の前に立ちどまると、風にゆられている柳の小枝をつかみ、やがて八本の小枝を折ると、両の手でにぎり、天にかざして呪文を唱え、対岸をめがけて 「えっ!」という一声とともに振り下ろした。
すると、不思議なことに、八本の柳の小枝は、たちまち立派な橋に変わってしまった。
お大師さまは、「さあ!どうぞ、お渡りを」と言う老人のすすめで、やすやすと一の谷をわたることができた。
喜んだお大師様は、老人に別れのお礼をしようと、振り返ってみると、そこには老人の姿は影も形もなかった。すると、突然一陣の風が舞いおこり、あたりの木々をごうごうと揺り動かし、天空には黒雲がわいてきて、一瞬あたりが暗くなった。八本の柳の枝でかけた橋が、八疋の龍となって、すさまじい水けむりを吐きながら、天空に舞い上がり始めたのである。
「これは、まさしく仏法の守護神、八大龍王が老人に姿を変えて助けにきてくれたにちがいない、瑞兆のあらわれである」と、お大師さまは、両手を合わせ一心にお祈りをつづけた。
小半時間もたったであろうか、嵐のように天空にうずを巻いて舞っていた龍は、五色の光を放つと、静まりかえった傍らの池の中に水しぶきを上げて舞い下り、水中ふかく潜入した。と、同時に、風は止み、雲がはれて、静かな太陽のひざしがふたたびもどった。
お大師様は、八疋の龍が潜入した池を見下ろす、小高い丘の上に小さなお堂を立て、一本の柳の木を切り取ると、一気に八龍を刻み、不動八祖の像を画いてお堂の中に安置し、それより七日七夜お堂の中にこもり、八大龍王のご祈祷をされた。
お大師様は、村びとたちに、「この地は仏法の守護神八大龍王示現の霊場である。よって、このお堂を龍堂と称し、村を柳橋(八木橋)と名づける。」と告げ、再びいずこともなく旅立っていかれた。
なお、【龍堂】という地名と、【龍堂の池】の跡は、いまも残されている。